教育について
どうも、大地です
センター試験が終わったということで、今回は教育について考えていきます
僕は、国や世界において、教育が一番大事だと思っています
人の力がそのまま国や世界の力ですから
そこで、今回は三つのテーマについて考えていきます
勉強嫌いが多いのはなぜか?
さて、皆さんは勉強が好きですか?
僕は大嫌いです
正確に言うと、学校の勉強が小学校の時から大嫌いです
なぜなら、学校の授業の内容を自分で勉強したら、授業の1/6の時間で済みますし、なにより僕が興味を持ってないことに関する授業を1時間以上座って聞いとくことは苦痛以外の何物でもありません
しかし、そんな小学校で唯一楽しいと思える授業がありました
それは、算数の授業です
算数という教科自体が面白かったということもあるのですが、それを教えていた先生が良かった
その先生はいつも作業着姿で、「考えろ」が口癖の、僕たちには何一つ教えてくれない変わった先生でした
授業では「難問」と呼ばれる問題を後ろにずらっと並べて、それを生徒たちが取ってきて解くというスタイルで、その先生は授業中ずっとパズルを一人で黙々と解いてました
本当に何も教えないので授業参観に来た母も驚いてました
何も教えないので、親たちの評判は良くなかったような気がします
しかし、その先生は本当に子供のことを理解していたんだと思います
僕は自分で勉強したかったし、自分で考えたかったんです
それに、その時は気付きませんでしたが、今考えると、その先生は自分も一緒になってパズルを解くことで、僕たちのことを引っ張っていっていたんだと思います
嫌いな勉強を義務教育という形で押し付ける、現代の日本の教育には問題があるように感じます
押し付けられるから、勉強が嫌いになるのです
押し付けるのではなく、自然と勉強したくなるように仕向けるのが教師の役目ではないでしょうか?
「知りたい」という欲は誰にでも備わっているものです
その知識欲を上手に使った教育制度が、江戸時代にはありました
そう、「寺子屋」です
日本の教育は、江戸時代に普及した寺子屋から始まったと言っていいでしょう
もちろん寺子屋は義務教育ではなく、学びたい人だけが学びに来ていたんですが、それにもかかわらず就学率が70%を超えていたそうです
識字率も70%を超えていました
それだけ人間には知識欲があるということですね
知りたいから勉強するというのが、勉強の本来の姿ではないでしょうか?
だから、自習を中心とし、それを教師がサポートするという形が理想的な授業だと、僕は思います
学校教育の目的
一般的に、学校教育の目的というと、①知識を与えること、②考える力を伸ばすこと、③社会性の向上が挙げられると思います
①に関しては、現代ではネット上にいくらでも知識は転がってるので、わざわざ学校に通う意味はないです
②に関しては、学校教育で培われる考える力というのは、みんなと同じように考える力なので、自分で考える力を学校教育のおかげで伸ばせるわけではないです
③に関しては、学校で会うのは同い年の人ばかりだし、学校ではみんな平等にしようという動きがみられるので、そんな環境で、日常生活と比べて、社会性をより大きく向上させるのは無理でしょう
では、いったい学校教育の目的とは何でしょうか?
もちろん、上記のように良い先生と出会い、勉強が促進されることもあるでしょう
しかし、本当の目的は、自分と他人とを比べることができる環境を提供し、自分の得意不得意を見極めることだと思います
子供は学校に通うことで、他人と比べて自分は何が得意で、不得意かが分かるようになります
そうすると、正しい方向に努力できるようになります
不得意なものに対していくら努力しても、努力のわりに伸びません
一方、得意なものに対して努力すると、面白いように伸びます
それによって、得意なものを好きになり、さらに伸びるという好循環が起こります
現在の日本の教育は、生徒間の競争を避ける傾向にあります
これによって、自分の得意不得意が分かりずらくなっています
だから生徒には、得意不得意がはっきりするまで、できる限り多くの様々な種類の競争にさらすべきだと思います
学校という、かりそめの平等な世界で生きてきた子供は、中学生高校生ぐらいで世界が平等ではないことに気付きますが、その時までに自分にも他人にはない得意なことがあると言えなければ、自分に絶望してしまうのではないでしょうか?
子供の脳が大人の脳と同じ大きさになるのが12歳ぐらいとされているので、15歳ぐらいにはもう、その人の特性がほとんど出来上がっていると考えていいでしょう
だから、義務教育の間はしっかり競争させ、あとはそれぞれが自分の適性に合わせて進路を決めればいいのです
このような教育が実現されれば、究極の適材適所の状態になり、日本や世界の力が最大限に引き出されるのではないかと思います
英語教育について
最後に英語教育について少し書きたいと思います
僕は小学校で英語を教えることに対しては反対です
そんなことよりも、もっと自然に英語に触れる機会を増やすべきだと思います
たとえば、日本では洋画を日本語に吹き替えてテレビに流していますが、それを英語のまま流すなど、英語を使う機会を増やすことで英語の必要性が高まり、自然と英語を勉強しようという気になります
そういう環境をまず作らなければ、学校で英語を勉強してもすぐに使えなくなってしまいます
それに、英語なんか1年ぐらいちゃんと勉強したら誰でも英検2級ぐらいのレベルになります
だから、英語教育は高校生になってからで十分だと思います
最近のニュースなどを見ていると、「英語」「グローバル」などの言葉が多く行き交ってますが、そういう言葉に踊らされて、英語自体が大切なのだと勘違いする人が多くいます
英語はあくまでも道具にすぎません
英語を使って何をするかが大事なのではないでしょうか?
英語を話すだけなら、アメリカの幼稚園児でもできます
英語以外ほとんど取り柄のない、アメリカの幼稚園児のような人間を「グローバル」などという言葉でもてはやす、この状況を変えなければ日本の真の英語教育が始まることはないでしょう(もちろん、イチロー選手などのように、本当に世界で活躍している人もいます)
世界の形と幸せの4条件(4)
どうも、大地です
今回はシリーズ最終回です
それでは本題に行きましょう
世界の形(4)不完全
理想と現実が完全に一致している人など果たしているのでしょうか?
おそらくいないでしょう
だから、誰もがその人にとっての不完全な世界に生きてるのです
しかし、不完全=不幸せではないと僕は思います
逆に考えてみましょう
不完全だからこそ幸せなんです
僕がこう考えるようになったのは、世界幸福度ランキングを見た時からです
世界幸福度ランキング
1位 フィジー(89)
2位 中国(79)
2位 フィリピン(79)
4位 ベトナム(78)
4位 インドネシア(78)
6位 パナマ(77)
6位 パプアニューギニア(77)
8位 パラグアイ(74)
8位 バングラデシュ(74)
10位 アルゼンチン(72)
()内は幸福度を表す
これを初めて見たとき「おかしくね?」と思いました
先進国と呼ばれる国が一つも入ってなかったからです
医療、経済、福祉、教育などあらゆる面で発展途上国より優れているはずの先進国がランクインしてないのはおかしい
そう思った僕は、その理由を考えました
そして、幸せの条件(4)にたどり着きました
幸せの条件(4)希望をもって生きる
皆さん、一度完全な世界を思い浮かべてみてください
そこでは、ほしいものはなんでも手に入るのです
では、現実に戻ってきてください
どちらの世界に住みたいと思いますか?
僕は、この現実の世界に住みたいと思います
なぜか?
なぜなら、完全な世界はもうそれ以上良くなりようがないからです
一方、現実の世界は不完全だからこそ、より良くなる可能性があります
「今日より明日がよくなるはずだ」と思うことこそが「希望」であり、希望のない完全な世界に住む人々は不幸せだといえるでしょう
だから、もし社会の欠陥や自分の中の矛盾を見つけたなら、それを嘆くよりむしろ喜ぶべきだと思います
なぜなら、それは「希望」を見つけたも同然なんですから
日本などの先進国は、発展途上国より完全に近いといえるでしょう
だからこそ、明日への希望を見つけにくく、幸福度ランキングでは世界の平均を下回っているのです
ちなみにG7の国々はすべて世界の平均を下回っています
世界の平均(59)
日本(55)
カナダ(50)
アメリカ(48)
イギリス(47)
ドイツ(46)
フランス(42)
イタリア(38)
だから、幸せになるには、希望をもって生きることが大切だと僕は思います
世界幸福度ランキングの情報元はこちら
http://www.wingia.com/web/files/service_categories/10/file/10.pdf?1484382347
世界の形と幸せの4条件(3)
どうも、大地です
明日(今日かな?)はセンター試験ですね
受験生の皆さんは楽しんできてください
では、シリーズ3回目始めます
世界の形(3)つながり
taichikarateguitar.hatenablog.com
上の記事に書いたように、生物たちは独立して生きています
そして、二つ以上の独立したものが存在すると、そこに何らかのつながりが生じます
つながりを全く持たずに生きることは不可能です
仏教では、「あなた」というものは存在せず、あなたの周りのつながりこそが「あなた」なのだという考え方があるほどです
では、つながりが支配する世界で幸せになるにはどうすればよいのでしょうか?
幸せの条件(3)理解し、尊重する
つながりと言ってもいろんな種類のつながりがあります
家族、友達、そして憎しみで結ばれたつながりもあるでしょう
その中で、僕が最も素晴らしいと思う関係は「理解し、尊重しあう関係」です
なぜこの関係が素晴らしいと思うかというと、上の記事に書いたように、生物ははっきりと独立した存在であるべきであり、その生物のありのままの姿を尊重すべきだと思うからです
本当なら「尊重」だけでよいと思うのですが、尊重するには「理解」が必要です
その生物を理解していなければ、何を尊重すればいいのかわかりません
だから「理解し、尊重する」としました
人は自分と異なる考えや姿をしたものを批判しがちです
そこから、人種差別が生まれました
しかし、そのような人と出会えたことをむしろ喜ぶべきだと僕は思います
なぜなら、その批判する人と批判される人は、異なっているからこそ、お互いを理解しようとする意志さえあれば、最高に素晴らしいつながりを築くことができるかもしれないからです
かつて、イエス・キリストがこのように言ったそうです
あなたの敵を愛しなさい
ここでいう「愛」とは「理解し、尊重する」ことなのではないでしょうか?
イエス・キリストが言ったから正しいとは考えてませんが、はっきり独立した存在でありながら、つながりを保つには「理解し、尊重する」しかないのではと思っています
だから、幸せになるには他を「理解し、尊重する」ことが大切だと僕は思います
世界の形と幸せの4条件(2)
どうも、大地です
今回はシリーズ2回目です
では、さっそく本題に入ります
世界の形(2)変化
この世界は常に変化しています
これを感じ取るには歴史を考えるといいです
約46億年前:地球誕生
約40億年前:地球初の生命誕生
約2億年前:恐竜誕生
約6500万年前:恐竜絶滅
約600万年前:人類誕生
約10万年前:ホモサピエンス誕生
約4万年前:人類が日本まで移動
約5000年前:文明の誕生
約250年前:産業革命
約140年前:電話の発明
約80年前:第二次世界大戦
約70年前:コンピュータの誕生
約55年前:初の有人宇宙飛行
約52年前:東京オリンピック開催
約47年前:人類初の月面着陸
約40年前:パソコンの普及
約21年前:阪神淡路大震災
約20年前:インターネットの普及
約15年前:i pod発売、アメリカ同時多発テロ
約10年前:世界金融危機、i phone発売
約6年前:東日本大震災
約2年前:イスラム国樹立
約9か月前:熊本地震
約2か月前:アメリカ合衆国大統領選挙でドナルド・トランプが当選
地球誕生とトランプ当選を同列に扱うのはどうかと思いますが、僕の感覚ではこんな感じです
こうやって自分で年表を作っていると、先人たちへの感謝の念が込みあがってきますし、自分にとってどの出来事が重要かがよくわかるので、一度皆さんも作ってみることをおすすめします
さて、このように変化していく世界で、幸せになるにはどうすればよいのでしょうか?
幸せの条件(2)日々生まれ変わる
やはり世界が変わっていくなら、自分も変わっていくべきだと僕は思います
君子豹変というやつですね
人は毎日進歩しているという実感を得ることで幸せになれるということは、皆さんも気付いていることではないでしょうか?
そして、人間に進歩を求める本能のようなものがあるから、世界が急激に変化していってるのではないでしょうか?
しかし、たまに自分の考えに固執して変化しない人がいます
僕もたまにそうなってしまいます
こういう人はおそらく、自分が絶対正しいと思っているから変わらないのではないかと思います
僕はこうなってしまいそうなとき、いつも1万年後の人々のことを考えます
1万年後の人々から今の僕たちを見たら、おそらくバカみたいな考えをしてるのではないでしょうか?
だって、ついこの間まで人種差別が当たり前だったんですから
しかし、昔から変わらず現在でも、そしておそらくこれからも大切なことがあると思います
そういったものは大事にしていくべきでしょう
このように、幸せになるには、時代に関わらず大切なものを大事にしながら、日々生まれ変わることが大切だと僕は思います
世界の形と幸せの4条件(1)
どうも、大地です
これから4回にわたって、世界の4つの性質と幸せの4条件について書いていきます
どうして世界と幸せを一緒に考えていくかといいますと、動物というのは自らの種の繁栄に貢献する行動をとると、喜びや幸せを感じるようにできており、繫栄していくには、世界の形に適応していかなければならないからです
ダーウィンの言ったように
生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである。
というのは真実であり、世界への適応が幸せへとつながっていくのだと、僕は思います
では、本題の世界の形と幸せの条件に入っていきます
世界の形(1)多様性
この世界は多様性であふれています
魚、トラ、タンポポ、鳥、犬、そして人間などの多くの種がこの世界で生活しており、人間というひとつの種だけを見てみても、一人一人異なっています
逆に、みんな同じだったら気持ち悪いですよね
それでは、多様性を満たすには、僕たち一人一人はどうすればよいのでしょうか?
幸せの条件(1)自分で感じ、自分で考える
僕は小さい時から、父に「他人と同じことはするな」と言われて育ってきたので、高校生ぐらいまでは、何か他人とは異なる、言ってみれば奇抜なことをしようと考え、行動してきました
しかし、最近ではそのアプローチはちょっと間違ってるのではと感じています
なぜなら、ただ奇抜な行動をとるというだけだと、そこに「自分」がありません
「奇抜」という言葉は、他人が基準になっています
他人と比べて奇抜ということです
だから、そこに「自分」がいません
では、本当の意味で自分を他人と異なった人間にしているものは何でしょうか?
それは、自分の感情であり、自分の思考であると僕は思います
人は誰でも、他人と違った感情や思考を少しはすでに持ってます
しかし、大部分の時間を常識という他人の考えに従って生きてます
また、マスメディアに振り回されるのも自分で考えていない証拠です
マスメディアに振り回された結果、戦争に向かうこともあるのですから、自分で考えないということが、どれだけ危険か分かると思います
日本は世界でもトップレベルの安全な国です
安全はいいことだと僕も思いますが、これは日本国民がみんな似たような考えを持っているということの裏返しでは、と少し心配しています
みんなの考えが間違った方向へ行くと、戦争になるのです
だから、危険を回避しながら、世界の多様性に貢献し、幸せな人生を送るためには、常に自分で感じ、自分で考えるということを意識して生きていくべきだと、僕は思います