「正義」とは何か?

どうも、大地です

 

taichikarateguitar.hatenablog.com

 

前回紹介した本の中には、多くの昔の日本人の本がありましたが、その中には非常に多くの「正義」という言葉が出てきます

正義を貫けと説いている人が多いんです

 

そこで、今回は「正義」とは何かを考えていきます

 

一般的な「正義」

 

まず、一般的に正義とは、ある考え方があって、それに当てはまれば正義、当てはまなければ悪というものでしょう

例えば、被災地に寄付するのは良い行為だという考え方があるとすると、被災地に寄付する人が正義、寄付しない人が悪ということになります

 

しかし、この一般的な正義には危ない面があります

それは、正義というのは多数側につくということです

 

日本のような民主主義国家では、多数決で何もかもが決まりますが、そこでは多数の意見を正義として実行していきます

少数意見も大事にしていくなどという政治家が結構いますが、どうやって対立する二つの意見を同時に実現するのでしょうか?

戦争賛成という国民が過半数で、反対が少数意見のときに、「多数決の結果、戦争はしますが、少数意見を大事にして戦争はしません」なんてことできるわけありません

だから少数意見も大事になんてことを言う人は、ただ人気取りのために言っている偽善者だと言っていいでしょう

 

少し脱線しましたが、戦争賛成の多数派のせいで、戦争反対の少数派まで戦争に巻き込まれ、被害を受けます

 

これが、多数決の原理の危ない面です

 

アメリカでは、大統領選でドナルド・トランプが勝利したことで、この面がよく表れています

デモなども多く起こってますよね

ヒラリーを支持した人の意見は無視され、トランプを正義として、これから先数年間アメリカは進んでいくのです

デモをしても、それは今のところ変わりそうにありません

 

ところで、デモには意味あるデモと、意味のないデモがあると思います

 

まず、意味あるデモとは、多数派がデモ側の人間であるときのデモです

韓国で朴槿恵を退かせたデモが良い例です

デモをすることで多数派の意見を目に見える形にするのです

 

一方、意味のないデモとは、今のアメリカのデモのように、デモ側が少数派の時です

この時にはいくらデモをしても覆ることはありません

いくらデモをしてもトランプは意見を変えることができないんです

 

どちらにしても、結局は多数派の意見が正義として実行されていくということです

 

では、少数派はどうすればよいのでしょうか?

それは、現実を受け止めることです

いくらデモをしても覆ることはないのだから、現実を受け止め、その中でどうするかを一人一人が考えていくべきです

 

多数決の危ない面を書きましたが、多数決がだめだと言ってるわけではありません

多数派の意見が採用されることで、少数派の満足度は下がると思いますが、全員の意見を同時に採用することはできないので、一人一人を見ると満足度が下がる人も上がる人もいますが、全体としての満足度を最大にするには多数決が良いと思ってます

 

そして、全体としての満足度を最大にするというのが一般的な正義の本質でしょう

 

 

昔の偉人たちの正義

 

一般的な正義とは、多数派の考えでした

では、本の中の昔の偉人たちの正義とは何でしょうか?

 

それは、このブログで何度も書いてきましたが、自分の考えです

上の「面白い本20選」の本(特に小説以外)を読んでもらうと分かると思うのですが、昔の人は自分の考え・信念に忠実に生きることを大事にしていたようです

 

吉田松陰がこんな言葉を残しています

かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂 

 現代語訳すると、「こうすれば、こんな結果になると分かっていながら、やらずにはいられないのが日本人の心だ」といったところでしょう

つまり、「現実は分かってるけれど、自分の信念を貫く」ということを言ってるのではないでしょうか?

 

このように、昔の偉人たちの正義は、一般的な正義とは大きく異なることが分かります

 

では、僕達はどちらの正義に従えばよいのでしょうか?

 

根拠はないですが、僕はこの二つの正義が共存できると考え、どうすれば共存させることができるかを日々探っています

共存できなければ、自分の考えに従わない面白くない大人になるか、自分の考えだけに従う社会不適合者になるしかないからです

 

吉田松陰は結局、獄中で死んだので社会不適合者だと思われるかもしれません

しかし、その後の明治維新を支えた人たちを育てることによって、目的を達成し、日本の近代化に貢献したので、結局は一般的な正義という現実に適合したのだと僕は思います

 

別に早死にしたくはないですが、自分の信念を貫きながらも、社会に適合し、貢献する吉田松陰のような生き方を目指したいと思います