陰と陽

どうも、大地です

 

皆さん下の図を見たことありますか?

 

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これは、「陰陽太極図」と呼ばれるものです

 

この図は、世の中のすべてのものが、陰と陽という対立的な二つのものから成っているということを示しています

具体的には、大と小、高と低、上と下、内と外、天と地、昼と夜、強と弱などがあります

そして、黒い勾玉みたいなところの中に白い丸、白い勾玉みたいなところの中に黒い丸があることで、完全な陰、完全な陽は存在せず、すべては程度の問題だということも示しています

 

今回は、この陰陽太極図について僕の考えを書いていきます

 

 

すべては相対的である

 

僕がこのことになんとなく気付いたのは、絵を通してです

光を描きたいなら、影を描けばいいということに気付いたんです

 

そこで、陰陽の具体的な例として、明暗を取り上げて考えていきます

 

「明るい」や「暗い」というのは、どういうことを表しているのでしょうか?

 

まず、明暗を感じるのは人間です

なので、「明るい」や「暗い」というのは人間の感じ方の問題なんです

そして、人間というのは、「自分の経験と照らし合わせて明るいか、暗いか」という感じ方をします

例えば、普通の人間なら、昼間は明るくて、夜は暗いという感じ方をしますが、夜の暗い状態しか経験したことのない人間がいたなら、おそらく夜を暗いとは感じず、その暗い状態が普通だと感じるでしょう

暗い状態しか知らない人間は、明暗という概念すら持ってないでしょう

 

そもそも、人間(を含む生物)が存在しない宇宙には、明暗どころか上下左右大小などあらゆる概念が存在しません

そういった概念は人間が作り出すものです

人間は自分の経験と照らし合わせて、相対的に周りの世界を感じ取るので、「明るい」という概念を作ろうと思ったら、「暗い」という概念がセットでついてくるのは当たり前のことなんです

 

だから、世の中のものが陰と陽から成っているというよりは、人間というものが陰と陽を相対的に感じ取る動物だとしたほうが正しいのではないかと僕は思います

 

人間は毎日、相対的に比べるときの基準になるものを自分の中に積み上げていっています

それが常識であり、先入観や偏見です

しかし、そういったものは勉強を通して変えていくことができます

僕も、物理学を学ぶことで世界の見方が変わりましたし、現在も変化しています

このように、自分の常識を変えていくのが勉強の本質だと思います

 

では、比べるときの基準がなければどうでしょう?

比べる基準がないなら、絶対的なありのままの姿を見ることができます

それが「初心」という言葉に込められた意味だと思います

 

初めて世界を見る赤ちゃんのような目で、僕も世界を見れたらいいのにと思うことがあります

しかし、陰陽太極図が示すように、人間は自分の先入観と照らし合わせて、相対的にしか感じ取ることができません

 

でも、先入観のある目というのも、なかなか楽しいものです

先入観があれば、それを覆したときに驚きがあります

それはなかなか楽しい経験です

物理を学ぶことで、僕の先入観はどんどん覆っていきます

だから僕は物理が好きなんです

これは物理だけでなく、あらゆるものに言えると思います

 

子供には身に着ける楽しみが、大人には覆す楽しみがあります

 

赤ちゃんの目を持てないなら、せめて自分の常識を柔軟にして、覆したときの驚きをたくさん楽しみたいと思います